エッセイ

どうして私はお金が欲しいのか

お金が欲しいと思うことがある。

さてお金が欲しいのはなぜだろうか。

当然お金があればいろいろなことができるのだから、それについてはごく自然なことだろうと思う。

しかしながら、お金がなくても何とかなるケースは意外と少なくないわけで、であるなら、お金が欲しい理由とは一体何なのか。

これについて考えたことは一度や二度ではなく、自分の中ですでに答えらしきものは導かれている。

それはすなわち自由のためである。

人は食べなければ生きていけない。

そのためにはお金が必要だ。

食べていくためには食べ物が必要で、それを手に入れるためにはお金がなければならないのである。

それは資本主義の世の中に生きているのだから当然のことであって、何人たりとも逃れることのできない運命のような宿命のようなそんな感じもものである。

ではなぜそんなに自由が欲しいのかと言えば、人に指図されるのが我慢ならないからである。

それは仕事に限らないし、プライベートでも他の人からああせい、こうせい、と言われるのは正直言ってあまり気持ちのいいものではない。

しかしながら私という人間はそういったことが嫌いであるにもかかわらず、言われればなるべくそれに沿うようにしたいと思うし、言われなくともそういうことを言われないようにあらかじめ布石を打ってお行くようなことをする人間である。

すなわち、そういったものからあらかじめ離れて置くためには、それを言われる必要がないだけの裏付けが必要になるのである。

そのために必要なのがお金である。

もちろんお金でなければならないということなど全くなく、それを代替しうるものがあるならなんだっていいのだが、結局お金を代替しうるものがほとんど思いつかないものなので、仕方なしにお金が欲しいなどとうそぶいているのである。

さて、お金が欲しいとなれば当然働かなければならないわけだが、働くと言ってもいろな種類の労働が存在していて、今ついている仕事もまたそのうちの一つである。

しかし、今の仕事はさっぱり面白くなく、面白くなる見込みも今のところない。

そんなわけで、何とかお金を稼いでこの状況から脱却したい思うのであるが、それがやはり当然容易なことではなく、ブログに手を出したりしてみたもののなかなか成果など出るはずもなく――まあ大して力を入れていないのだから成果などでなくても仕方のないことなのだが――脱却できそうな状況には程遠い。

ではこれから先一体どうして行こうかということなのだが、できることならば株式投資で上手いことコンスタントに稼ぐことができるロジックを見つけたいところである。

なぜなら株式投資は一日当たりにかける時間が極めて少ない。

そのため、今私が求めているところの【自由】に限りなく近いものだと言えるからだ。

幸いなことに趣味にお金のかかるものがほとんどないから、貯金は同年代の他の人間に比べてかなり多い方であると自負している。

これらのお金を使って、何とかコンスタントにお金を稼げるようになりたいのだが、結局のところその手段が今ひとつピンと来ていないわけである。

株の方はいろいろと手を尽くしている――まあ相対的に見て、という意味だが――ものの、なかなか思うような成果にはつながっていない。

今日もまた取引をしたものの、一万円程度のプラスであった。

一万円と言えば決して安くない金額だしありがたいことは当然ありがたいのだが、株のプラスはいつも発生するわけではなく、日によってマイナスにもなることから、一に一万円をコンスタントに稼ぐなどというのは当然容易なことではない。

であるから、リスクを少なくリターンを手堅くする方法を探している最中であるというわけだ。

ところでなぜそんなに時間が必要かと言えば、ゲームにしろ何にしろ、私の好きなことをする時間が全く足りていないからだ。

ゲームも新しい面白そうなものが出れば買っているが、結局なかなかクリアまでたどり着けず、詰みっぱなしになっているソフトが一本や二本ではない。

それらが別に嫌いなわけではなく、結局は仕事にとられる時間があまりにも多すぎるのがそもそもの原因である。

なんでこんな仕事についてしまったのかと言えば、私が今ついている仕事にはもともと微塵も興味がなかったのだが、残業が少なく、それなりの給料がもらえるらしいという噂につられて入ったらこのざまである。

まあ、世間的、平均的に見れば時間外が少ないことなど言われずともわかるのだが、部署間の差があまりに大きすぎて、今の部署の残業がかなり多く、かつ死ぬほどつまらないものなのだということは一言言っておきたい。

しかしだからと言ってそれをどうこうしようなどというつもりは全くない。

その理由は、組織体制があまりにも古臭すぎ、改革するのに労力がかかりすぎること、上の方にいる人間の頭が固く、発言権が強すぎるためにやはりこれも労力がかかりすぎることである。

そんなものをなぜ私一人で何とかしなければならないというのか。

否、そんな必要は全くない。

結論として、正すのにかかる労力が大きすぎて割に合わないのである。

それをどうにかするくらいなら、一から組織を作り上げて自分好みに作っていった方がはるかに簡単だが、結局それに手を付けることはないだろう。

なにしろ私は人とコミュニケーションをとるのがあまり好きではない。

誤解を招かぬように補足するなら、嫌いではない。

シンプルに面倒くさいのである。

自分が好きなように接していいと言われたとしても、結局性分としてそんなことはできないのだから、人と接すれば接するほど消耗していってしまうのは明白である。

さて、何の話だっただろうか。

仕事が嫌だという話であったが、時間がかかるという話だっただろうか。

ああ、結局、時間がかかるのは嫌なのだが、時間がかかっても構わないことは存外少なくないものである。

例えば何か。

ゲームはいくらやっても問題ない。

もちろん、つまらないゲームをやれと言われて強制されるのはまっぴらごめんだが、そんなことを私に強いる人間は世の中を探しても一人もいない。

つまり何が言いたいかというと、どんなに長い時間の仕事であっても、楽しければ問題にはならないのである。

プログラミングもかなり好きだが、きっとSEになっていればそれなりに楽しい日々があったのかもしれないなどと思うと、就活のときの選択は一体何だったのかという気がしないでもない。

そういえば、今の仕事を選んだ理由はもう一つあった。

古めの組織だからIT化が進んでいないと思ったのだ。