エッセイ

ノンストップ・エッセイ・ライティング~人は長文が読めないのか~

さて、人は長文を読むことができるのかどうかという話でもしようかと思う。

稼ぐブログにおける長文

ブログ論において、短文ほど良いとされる風潮があるのは私もネットの海を少々調べて知っているのだが、私の考えはそうではない。

長文には長文のいいところがあって、短文ではうまくいかないことも長文ならばうまくいくということも当然あると考えている。

長文を読むような人間は長文を読むような人間にしかない特性を持っているわけで、稼ぐにあたり短文で制約させるスタイルは、必然的に長文を読み進めるタイプの人間をふるいにかけて弾き落としているということに他ならない。

長文を書くということ、長文をかけるということには一定のスキル、特性、向き不向きがあって、それに合わない人間にとっては短文で制約させることができるということの方が都合がいいのであろう。

殊私に関していえば、こんな文章を読んでもらっているのであれば必然的に理解もできるだろうが、長文を書くのはそれほど苦ではない。

とはいえ、これは特に目的もなく書いている文章であるから、こんな物を書くことで長文を書くのが苦にならないなどということはできないとお思いかもしれないが、結局この程度の長文もかけないような人が、読ませる長文を書くこともできないであろうことは明白なので、やはり一つのふるいとして、雑な長文を書けるということはあるのだろうと思う。

ブログの練習に小説を書く

さて、長文の代表格として、小説がある。

ブログで稼ごうとしている読者諸賢に置かれては、試しに小説家になろうに小説を投稿してみるのはどうだろうか。

小説家になろうに投稿されている小説をよく思わない人が少なからずいるのは私もよく知っているところだが、小説家になろうにはある種ブログで稼ぐためのノウハウの一端ともいえる要素が含まれているように感じている。

なお、この考えは何も私が独自に至ったものではなく、特に風倉さんのツイッターnoteカクヨムを読んで気が付いたことであることはあらかじめ断っておきたい。

小説を書くということは、必然的に最後まで読ませるような文章、ストーリーの構成が必要になってくる。

当然ながら、ブログなりなんなりで文章を書いて成約させるのであれば、小説を最後まで読ませられるだけの構成能力は要求される。

そして、小説でそれが適うのであれば、ブログの記事を書く際にもそれは当然利用可能であることをわざわざもう一度説明する必要はないと思う。

というわけなので、ブロガー諸君は試しに小説家になろうに小説を投稿してみるといいと思う。

ブログの収益はある程度時間が経たないとその効果をはかるのは難しいが、小説家になろうについては極めて高速に読者からの感想をはじめとするリアクションがもらえることから、自身の文章能力をはかるにはもってこいの場であると考えている。

まあ、私がわざわざ小説を勧めるのも、しばらく前まで小説を書いていたからである。

もっとも、小説家になろうに投稿したことはなかったけれど。

さて、それはそれとして、また文章の話題に戻ろうか。

タイトルは一行目のために 一行目は二行目のために

長文を書く練習に小説がいいと言ったが、まあそれにはまた別な理由もある。

風倉さんのもろもろのエッセイの中では、コピーライティングの話も少なからず触れられている。

その中で、タイトルは一行目を読ませるために、一行目は二行目を読ませるためにあるとされていた。

これはつまりどういうことなのかというと、文章というのはある意味文章を読ませるために存在しているということであって、文章そのものには意味などないのではないかということだ。

つまり、手段と目的が混同されるような存在が文章であり、小説であり、コピーライトなのだと思っている。

そうでなければ、一行目が二行目を読ませるために存在するなどということはない。

手段が目的化している別な例としては、モンハンがある。

モンハンでは、あるモンスターを倒して手に入れた素材を使って、次のモンスターを倒すのに有効な装備を作成する。

すなわち、一匹目は二匹目を倒すために存在していると言える。

ある種、似たような構造の中にあると言えよう。

モンハンはこの構造を持っているがゆえに大きくヒットした作品でもあるのだから、この構造を引き継いだ文章が書けるのであれば、やはりモンハン同様楽しい文章を書くことも可能になるであろう。

文章、文章文章。

一行目から二行目の天才 浦沢直樹

長い文章を書くうえで、一行目から二行目へ展開するための技法はきっと多くあるのだろうが、私はまだそれをよくは知らないところである。

私にもわかる技法でいうならば、引っ張ることだろうか。

読者に疑問を持たせ、次で解決されることを期待させる。

結局、期待しなければ次の文章を読もうなどとは思わないのである。

先の知れた物語に何ら期待しないように、先の見える文章には読者は何も反応しないのである。

かといって、全く予想もつかないような文章では、展開が支離滅裂になってしまうから、ある程度の道筋をつけたうえで読者の期待をあおるようにしなければならないと思うところである。

さて、さて、さて、私の見てきた中で、浦沢直樹がその手の引っ張る展開が天才的にうまいとのことである。

ただ、どうやらそこで張り巡らされた伏線が回収されないことの方が多いそうであるが……。

とはいえ、次に期待させて読ませるという点において、我々が参考にすべきところは多いのだろう。

浦沢氏いわく、優秀な週刊漫画家は、最もつまらない話を最後に持ってくるのだという。

これはつまり、毎週面白い話を書いていれば必然的に継が読みたくなるが、最後の最後の一羽だけが悪い分には、もうその先が存在しないのだから問題がないということなのだろう。

コピーライティングの世界では、最後まで読んでもらうことが非常に重要だそうなのだが、やはり最後まで読んでもらうことはそう容易ではないのであろう。

そもそも、最後まで読んでもらえるような文章であるならば、ある程度読者に情報を提供することもできるわけで、その時点である程度書き手の意図は伝えることができているものであろうと思われる。

つまり何が言いたいのかと言えば、ブロガー諸君は、もちろん私を含めてのことだが、最後まで読んでもらえるような文章を書くべきであるということtである。