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【#鬼滅の刃】痣の者と呼吸法と日輪刀【戦闘技能考察】

以前からちょっとまとめて書きたいな、と思っていた痣と呼吸法と日輪刀について、ざっくりと考察したものを書きました。

基本的にすべて仮説です。

ネタバレが大量に含まれるので、単行本派の方は注意。

なお、読まれる場合は以前書いたこちらの記事の内容も参照。

【#鬼滅の刃】痣の者【戦闘技能考察】漫画「鬼滅の刃」の戦闘技能痣の者について考察する。 なお、単行本未掲載話(176話)までのネタバレを含むので、未読の方、単行本派の...

呼吸法とヒノカミ神楽

呼吸法には各種の種類がある。

基本となる呼吸は五種類だが、それぞれが異なる特性を有している。

その全てが大元をたどれば日の呼吸に通じているとのことで、すなわち日の呼吸は全ての元となる基本の呼吸法であるということが言える。

炭治郎は当初水の呼吸を用いており、途中からヒノカミ神楽の呼吸法に切り替え、以後それを使っている。

ヒノカミ神楽の呼吸はその名称からも日の呼吸との関連が示唆されているが、作中これについて詳しく明かされたことは今のところない。

実際、おそらくヒノカミ神楽の呼吸と日の呼吸の間には強い関連があると思うが、おそらく両者は少しだけ異なるものであると思われる。

当然その名前の違いもそうなのだが、おそらくヒノカミ神楽は、日の呼吸から各基本五系統の呼吸の要素を削ぎ落したものではないかと思う。

そして逆に基本五系統の呼吸法は、日の呼吸からヒノカミ神楽の要素を取り除き、五つに分化したものではないだろうか。

その理由として、ヒノカミ神楽の呼吸と他の基本の呼吸を混ぜ合わせて使用することができることがある。

炭治郎がヒノカミ神楽の呼吸と混ぜ合わせたのは、水の呼吸と雷の呼吸である。

もっとも、雷の呼吸の方はただ体の使い方をまねただけのもので、実際には雷の呼吸ではなかったようではあるが、ヒノカミ神楽の呼吸に他の呼吸の要素を混ぜることができている。

基本の五系統から派生した呼吸法も、元となる呼吸に何らかの要素を足したりしているものと思うが、今のところ基本の呼吸法同士を混ぜ合わせた呼吸法というのが紹介されたことはない。

つまり、混ぜることができるのは、ヒノカミ神楽をベースにした場合だけで、基本五系統の呼吸法同士は混ぜ合わせることができないのではないだろうか。

となれば、基本五系統の呼吸法をヒノカミ神楽をベースにして混ぜ合わせることで、今や断絶した日の呼吸を復元することが可能ではないかと思う。

このことは、日輪刀の色からも推測することが可能である。

日輪刀の色と呼吸法

日輪刀の色変わりとの関連であるが、炭治郎の日輪刀は黒である。

黒い刀の剣士はほとんどいないとのことで、どの呼吸を極めればいいかわからないきつい色であるとされる。

これは当然であって、黒い刀は日の呼吸の適性を示すものであるからである。

その証拠に、日の呼吸の使い手継国縁壱の刀は深い漆黒であった。

黒は、多くの色を混ぜ合わせた最後に行き着く色である。

呼吸の系統によってさまざまな色に変わる日輪刀だが、適した呼吸の系統によって様々な彩色を放つ。

先のいろいろな呼吸を混ぜ合わせることで日の呼吸になる説に則れば、いろいろな色を混ぜあわせた結果が黒であるから、日の呼吸の色も黒であることの理屈は通る。

黒い刀の持ち主は本来日の呼吸の使い手であって、それがすでに断絶していることから、自分に最も合った呼吸を習得することができず、結果として出世できない剣士であったという評価が下るに至ったと考えられる。

呼吸法と痣

続いては呼吸と痣の関係、特に二十五歳で死ぬこととの関連である。

今のところ、二十五歳を過ぎても生きていたのは継国縁壱一人だけだが、その特徴としては当然日の呼吸の使い手であることが言える。

日の呼吸、その名称からして太陽を思わせる呼吸法だが、太陽と関連が深い存在が鬼である。

鬼は太陽の光を苦手としていて、鬼には痣にも似た紋様がある。

痣と鬼の紋様が同一の因子によるもので、痣を発現した者は鬼の力に体を蝕まれて短命に終わるのだとすれば、日の呼吸の使い手は鬼の力を相殺、中和することができ、それ故に短命にならず、二十五歳を超えても長生きできるのではないかと考えられる。

鬼化と日の呼吸

黒死牟によれば、鬼舞辻無惨の血を得ても鬼にならないものがいるとのことであった。

この要素を持ちうるものとして考えられるのが二通りある。

一つは当然であるが、日の呼吸の使い手、継国縁壱である。

日の呼吸が体内に太陽を宿すようなものであると考えれば、当然鬼の要素など体に入れたところで鬼化しようもないし、万が一鬼化しようものならば自身の日の呼吸で灰になって消滅してしまうことだろう。

もう一つは鬼喰いの力を持った者である。

もともと鬼の力を体内に入れることで自発的に鬼化し、一定時間たつと人間に戻ることから、一時的に鬼化するも時間が経つと戻るような可能性は十分に考えらえれる。

どちらのことを指しているのかはわからないが、鬼化して元に戻るものを指して鬼化しないとは言わないだろうから、おそらくは縁壱のことを指していると思われる。

痣の形状と日輪刀の色と呼吸法

痣の形状は、それぞれが持つ呼吸の適正と近い形状で現れる。

風であれば風車、岩であれば地割れ、水であれば流水。

単に演出上の問題と考えることもできるが、呼吸法の適性がそれぞれの体質によるものであるとすれば、痣の形状もまた、それぞれの体質によるものであると考えることは不自然ではない。

痣の形状と日輪刀の色

日輪刀の素材は太陽光を多く吸収した鉄である。

それに触れることで色が変わる原理としては、二通りが考えられる。

  • 一つは、体内にある何らかの成分が日輪刀に吸収され、色が変わる。
  • もう一つは、日輪刀にある何らかの成分が体内に吸収され、色が変わる。

いずれのパターンも考えられるが、どちらかと言えば前者の方が可能性が高い。

日輪刀の持つ性質は基本的に太陽である。

そして呼吸法により高められる力は基本的に鬼の力である。

鬼の力が高まり、人間の体に耐えきれないほど高まったときにあらわれるのが痣だとすれば、耐えきれる程度のときの表出を検知するのが日輪刀である。

それぞれの体質によって、鬼の力の耐えられる部分と耐えられない部分があり、耐えられない部分の鬼の力が痣の形となって表出する。

そして、日輪刀も、個人の体質上耐性の弱い部分から漏れ出る力を吸収し、貯えた太陽の力と反応することで一部が変質し、色が変わる。

そのため、日輪刀の色の変化と痣の形状には関連性があるのだと考えられる。

逆に、痣の形状が同じであれば程度の差こそあれ、同じ呼吸への適性を持つものと思われる。

痣の形状と25歳の死

とすると、今度は鬼の力に耐えることができ、痣を発現しても死なない者の存在が疑問になる。

継国縁壱は痣を発現しながらも老齢まで生き延びた人間であるが、痣が個人の体質上鬼の力の耐えられない部分を現しているとすれば、縁壱に発現した炎のような形状の痣は一体何を表していると言えるだろうか。

これはシンプルな話で、耐えられずとも死に至らない部分の鬼の力である。

何も鬼の力の一から十まで全てが人体に悪影響であるとは限らないわけで、そのうちのそれほど悪影響のないものがたまたま自分にとっては耐性のない部分だったというだけの話であろう。

ましてや縁壱は神々に愛されたとまで言われるような特別な人物であるのだから、このような説があっても全く不思議ではない。

痣を発現しない痣の者の可能性

一方、こんな人間がいるかどうかはさておき、痣が発現していないにもかかわらず痣が発現しているのと同等の力を発揮しうる人間が存在する可能性もある。

体質的に、鬼の持つ全ての力に耐性を持つがゆえに、痣が全く発現せず、日輪刀が変化しない人間である。

このような人間がいた場合、おそらくは才無き者として前線に出て戦うことは通常ない。

当然ながら鬼の力に耐性を持つため、痣が発現しうる状態になっても痣が発現せず、25歳になっても死ぬことはない。

もっとも、どんなに鬼の力を高めても痣が発現しないような人間がいるとすれば、それはもはや人間ではなく鬼。

そしてそれは鬼舞辻無惨であろう。

産屋敷一族と日輪刀の色

産屋敷一族の呪いが鬼の力によるものである説を前の記事で書いているが、もしも呪いが鬼の力由来のものであるなら、産屋敷一族が日輪刀を持つと、色が変わる可能性が高い。

しかもおそらく、通常の鬼殺隊士の色変わりよりもいっそう強く色が変わると思われる。

なぜなら、産屋敷一族はその身に宿す鬼の力に全く耐えられない程度の耐性しか持たないためである。

日輪刀が持ち主から漏れだす鬼の力に反応してその色を変えるのであれば、耐性がなく、鬼の力がダダ洩れであろう産屋敷一族が持った時には、大量の鬼の力と反応して日輪刀の色が大きく変化すると予想される。

才無き者と日輪刀の色

不死川玄弥、煉獄千寿郎など、剣士の才能がなく、日輪刀の色が変わらないものが作中に何名か登場する。

しかし、産屋敷一族のように、鬼の力が強制的に目覚めさせられているために体に変調をきたすものがいることから、鬼の力に対する耐性と呼吸法の才能はおそらく比例しない。

人体の構造を考えるに、鬼の力に耐性のないものは、そもそも呼吸法に対して拒否反応を示すために、呼吸法により鬼の力を発揮することができないと考えられる。

そもそも、人体の限界を超えた鬼の力を発揮した際に痣が発現するのであるから、才無き者の中でも無理やり呼吸法を習得し、即痣を発現して死んだ者がいないとも限らない。

鬼の紋様と痣の形状

痣が鬼の紋様と似ていると上弦の肆・半天狗は語ったが、痣と鬼の紋様が同一の因子に由来するものであるとすると、何が分かるだろうか。

痣はあくまで人間が鬼の力に適応しきれない部分が表出したものであるが、鬼の場合は適応しきれないということがない。

であれば本来的には痣、あるいはそれに類するものは発現のしようがないが、鬼の紋様という形でこれが発現している。

これは、人間と同じく、鬼の力への耐性の有無によるものであり、性質的に違いはないと言える。

しかし、鬼は当然極めて高い耐久力、再生力を持ち合わせているのだから、そもそも鬼の力への耐性は万全ではないか、と思われるが、そうではない。

おそらく、鬼から耐久力、再生力を取り上げると、紋様が発現しているものは死ぬ。

これは、人間であれば痣の発現により死んでしまうような場合でも、鬼であれば高い耐久力、再生力により、死なずに済むというだけの話である。

鬼と日輪刀の色

ここまでの仮説に基づけば、鬼が日輪刀を持てばおそらく色が変わる。

鬼の持つ鬼の力は当然人間とは比較にならないわけで、鬼の紋様なる痣も発現していることから、当然それぞれ異なる適性を持ち、それに対応した力の溢れ方をしているはずである。

鬼へと変じた黒死牟や獪岳はもともと刀を持っており、無垢の日輪刀を持ってはいなかったため、どのように刀の色が変化するかについてはわかっていない。

炭治郎と痣とヒノカミ神楽

二十五歳を超えて長生きできたのは結局縁壱一人しかいないわけだが、炭治郎はどうなのだろうか。

炭治郎は生まれつき額に痣があったわけではないようなので、父・炭十郎のような生来の日の呼吸の使い手ではないと思われる。

しかし、日輪刀の色は縁壱と同じ黒であり、適性としては日の呼吸の使い手であると思われる。

父炭十郎の言葉によれば、正しい呼吸というものがあり、それができればどんなに動いても疲れることはなくなるとのことである。

この正しい呼吸というのが日の呼吸のことではないだろうか。

炭治郎は日の呼吸に適性があるものの、そこからある意味で引き算的に派生したヒノカミ神楽の呼吸では、ありようが変わってしまったために体に適さなくなったのではないかと考えらえられる。

そのため、ヒノカミ神楽の呼吸以外の五系統の呼吸法を極め、ヒノカミ神楽と掛け合わせることで日の呼吸とすれば、ずっと疲れることなく技を放ち続けることができるようになるのではないか。

それと同時に、日の呼吸を再現することができるようになったら、痣による寿命への影響もなくすことができるようになる。

日の呼吸の型

ヒノカミ神楽の呼吸法には、十二の舞い型があると伝えられているという。

十二種類というのは、基本五系統の中で最も型の多い水の呼吸を超える数である。

日の呼吸にもこれだけの型があったのかと思いたくなるが、ひょっとしてそんなに型は多くなかったのではないか。

各種基本の呼吸法には複数の型が存在しており、少ないものでも陸ノ型、多いもので拾ノ型まで存在している。

炭治郎によれば、水の呼吸よりもヒノカミ神楽の呼吸の方が威力があるという。

これは単に炭治郎の呼吸への適性によるものかもしれないが、根本的にヒノカミ神楽の呼吸の方が技の威力が高い可能性もある。

そして、この流れに則すと、ヒノカミ神楽の元になった日の呼吸は、おそらくヒノカミ神楽の技よりも威力が高い。

事実、縁壱は呼吸の型を使うことなく黒死牟となった兄を圧倒している。

また、対照的に黒死牟は月の呼吸の型を十六まで編み出しており、これも月の呼吸と日の呼吸の対比ととらえれば、そもそも日の呼吸には型が存在しない可能性すらある。

日の呼吸が神の御技と呼ばれるほどに強力な呼吸なのであれば、そもそも一時的に高い威力を発揮する型などに頼るまでもなく十分な威力があった可能性は否定できない。

また、日の呼吸については、単に始まりの呼吸としか伝わっておらず、型について言及されたことは一度もない。

もっとも、日の呼吸に関する伝承がことごとくないために詳細が伝わっていないだけの可能性も高い。

そうであるならば、日の呼吸がもとになったヒノカミ神楽にはなぜ十二もの型が存在しているのだろうか。

日の呼吸として完成されていた剣技から基本五系統の呼吸法の要素を除いた結果、型のない剣技として独立することができなくなったのではないか。

あえて日の呼吸として伝承せず、ヒノカミ神楽として伝えていくにあたって、型がなく、かつ不完全なまま伝承することは何らかの理由で都合が悪かったのだろう。

残る始まりの呼吸

縁壱は日の呼吸の使い手で、それにより痣の短命を克服できたのだとすれば、他の始まりの呼吸の剣士たちは日の呼吸の使い手ではなかったということになる。

とするのであれば、黒死牟は日の呼吸であったが、鬼化したことにより日の呼吸を使うことができなくなったのではなく、月の呼吸は人間の当時から自分で使っていたもので、日の呼吸以外に始まりの呼吸がもう三種類ほど存在することが予想できる。

日、月とくれば星の呼吸くらいは存在していそうなものである。